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良いですね、そのかたは

「でもさあ、そんなこと言って佐川さん、彼氏の画像一枚もなくない?」と言うと、宮本さんは佐川さんの顔をのぞきこむようにして笑う。佐川さんはほんの一瞬ためらったあと、すぐに笑顔を作り「やー、それは家で大事に保管してあるんですよ」と答えた。宮本さんは追求を緩めない。「ほんとうに?」佐川さんは困ったような表情で曖昧に笑う。「でも、一度も見せてくれたことないよねえ。」宮本さんはそう言うと、ニヤニヤしてみせた。わたしは(なんて下品な笑顔なのだろう)と思いながら、美味しくないハイボールを一口飲んだ。


職場の女子で集まって飲んで恋愛の話題になると、佐川さんはときどき「彼氏」の話をした。違和感があったのは、佐川さんの彼氏の年齢や、付き合っている期間などがその時その時で微妙に違う事がある、というところだった。でもまあ、そんなのはお酒の席での話だし、それについて特に追求したことはなかった。飲み会というのは、みんながほどほどに楽しく、仲良く過ごせればそれでオッケーなのだ。「ほんとに格好いいんですよ、わたしの彼は」と佐川さんは熱弁する。彼女の話によると、彼女の恋人は某二枚目芸人と酷似している、ということだった。

宮川さんは「ふーん」と頬杖をついてしばらく考え込んだ後、(まだ入社して月日の浅い)わたしと佐川さんに目線を交互に移しながら「この子さあ」と口を開いた。心なしか、佐川さんの笑顔に緊張が走ったような気がした。

「職場の男性陣の話をするときは本っ当につまんなさそうなのに、女子の話になるとイキイキするんだよ、目がキラキラしてさあ。ねえ?」宮本さんはビールの中ジョッキをぐいっと飲みながら、佐川さんの顔を再びのぞきこみ、数回「ねえ?」と繰り返した。佐川さんは曖昧に笑って、明確な返事はしなかった。他の飲み会メンバーも困ったように愛想笑いをしてその場はなんとなく流れ、話題は宮本さんの不倫相手の近況に移り変わったようだった。


なんて意地悪なひとなのだろう、と思った。直接的な表現はしなくても、宮本さんのしたことは殆どアウティングだ。佐川さんが「それ」を望んでいないことは、表情や今までの発言を集めれば火を見るよりも明らかではないか。宮本さんは決して頭の悪い女性じゃない。佐川さんが嫌がっているのを知ったうえで、その反応を楽しんでいるのだ。佐川さんは飲み会の間、終始にこにこと笑っていた。殆ど泣いているような笑顔だ、と思った。わたしの今の職場は基本的には善良な人が多いけれど、ときどき宮本さんのような人だったり保守的な考えの人たちがいるので、 "佐川さん" や "わたし" のような「人間」が自分の恋愛対象について話す相手は慎重に選ばなくてはならない、と思う。


佐川さんは人の悪口を言わない。いつもたいていはニコニコと笑っていて、誰の発言も頭から否定するようなことはしない。(普段はそんな風に見えないようにさりげなく装っているけれど)周囲の様子に細かく気を配っていて、誰かが困ったことになりそうなときは、先回りして助け舟を出す。そういうふうなので、佐川さんは部署の皆から好かれている。正確には「宮本さんをのぞいた部署の皆」という表現が正しいかもしれない。


その日は、同じフロアの女性で外に食べに行く人がわたしと佐川さんしかいなかったので、ふたりで昼食を摂ることにした。にぎやかなインド料理店で大きなナンをちぎりながら、仕事や家族や事など、たわいない話をした。

食事を終えて、お店から職場に戻るまでの道をゆっくり歩きながら、何となく「宮本さんって、なんていうか、ちょっとだけ意地悪ですよね」と切り出した。佐川さんはひっそりと笑い、「いいところもある人ですよ」と答えた。「不倫の期間は長いんですかね、彼女」と質問すると、佐川さんは困ったように「そんなにでもないかもしれないですね。わたし、宮本さんに最初相談されたとき、止めたんですけれど。駄目でした」と慎重に言葉を選びながら話した。


少しの間無言で歩いた後、気持ち深呼吸をして「わたし」「数年前から好きな人がいて。」「片想いなんですけど」と話し始めた。佐川さんはほんの一瞬呼吸を置いて「田中さん、好きな人いるんですね。良いですね、その方は "男性" ですか?」と質問した。わたしも一瞬呼吸を置いたあとに「ええとね。」「女性です」と答えた。そのあと職場まで戻るまでの間、ふたりで「わたしの好きな人」と「佐川さんの好きな人」の話で盛り上がった。職場のビルが見えてきた頃に「あ、できれば宮本さんには言わないでくださいね」と佐川さんにお願いをすると、佐川さんは「それは、もう」と苦笑いしながら応えた。

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進月

悲しい気持ちの時は、二進数や円周率を眺めると気持ちが和らぐ中年女性

短編小説

フィクションの短編小説置き場

コメント3件

進月さん、こんばんは。
落ち着いた筆致、しみじみと心に染み渡ってくる作品で、とても好きです。
マノヒロミさん、ありがとうございます。
マノさんの「大人の分別」、お互いがお互いの立場や気持ちを思いやる描写が好きだなあ、と思って読んでいました。
わたしの小説も読んでくださってありがとうこざいます!
また進月さんの小説も楽しみにしていますね~!
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