これ以上自分を嫌いになりたくない


「純度の高い人間になりたい」とは思いません。純粋な人というのは、ある種の危うさや「破壊力」と隣り合わせであるためです。それでもできる事なら、醜悪な人間にはなりたくない。それはつまり「自分を嫌いになりたくない」と言い換えることもできます。


わたしはこれ以上、自分のことを嫌いになりたくありません。


人の顔色を伺ったり、言葉の裏を探ったりして「これは正解かな」「これは間違いかな」と反応のひとつひとつに一喜一憂し、心身をすり減らすのはもう疲れました。正解を引き出せば一時的な気分の高揚には繋がるでしょう、しかしそれらは根本的な解決にはなりません。

自分の意思決定も織り込んでいかないかぎり、徐々に息苦しさのようなものが積み重なっていくだけで、そこに存在するのは「醜悪さ」です。自分の醜さを認めるのは苦しいけれど、わたしには自覚があります。(ここまで醜悪だとは思っていなかったけれど。)




わたしは、大切な人と一緒に時間を過ごせる人たちのことが羨ましい。大切な人に賞賛されている人を見ると嫉妬してしまう(行動にはうつさないけれど、対象の人物に対して、嫌な事を言ったり、意地悪な事をしてしまいそうな気持ちになります)。とても子どもじみた感情だという事はわかっています、が、頭では分かっていてもコントロールする事はとても難しく、苦しい。

わたしも褒められたいし、その場所で一緒に過ごしたい。文章に書き出してみると、本当に恥ずかしいこと言ってますね。10代の頃好きだった人にも、同じようなことを言って困らせたのを今思い出しました。懐かしい、とはとても言えない記憶です。多大な迷惑をかけたなと思います。相手はそんな風には言うことはなくて、根気強く話し合いをしてくれたし、わたしの最善を望んでくれていたと思います。




もうひとつ。

どうもわたしは大切な人たちの「望む事」に対して、思っていたより力になれる事が無いようだ、ということに気づき始めました。気づくのが遅いですね。わたしは物事を考えるときに、いつも少し時間がかかり過ぎてしまうのです。


どのくらい大切に思っていても、「大切」の種類が違う人とそういう関係になることはできないし、大切な人が子どもを望んでいても、わたしからその方に子どもを贈る手段はありません。(なにか良い方法はないかな、と、手を尽くして調べてはみたのですが、少なくともわたしが力になれる可能性のある事は何もありませんでした)


息子がどれくらい「お母さんとお父さんが仲直りしてほしい」と願っても、その思いを叶えてあげる事はできないし(できる限りの努力はしましたが、仲直りができるような円満な別れ方をする事はできませんでした)娘が「お父さんとおじいちゃん、おばあちゃん(元夫側の祖父母)に会いに行きたい」と願っても、彼女の心身の安全を考えると(彼女のそう願う気持ちは痛いほど理解できるのだけど)やはり、叶えてあげることができません。




わたしはいろんな人に手助けをしてもらい、少しずつできることが増えました。数年前までは乗れなかった満員電車にも、工夫をすれば乗れるようになりました。高いところも、先端が尖ったものも平気になりました。スーツ姿の男性が隣にきても、怖くありません。そして、これは最近のことですが、男性の大きな声を聞いても失神しないようになりました。

いろんな人に助けられ、徐々に社会へ参加できるようになってきたのに、わたしは助けてくれた人たちにお返しができません。新しいことを学べば学ぶほど、「自分はなにができないのか」が明確になってきました。できないことの方がずっと多そうだ、ということにも。


わたしは無力で、大切な人たちがほしいと思っているものに応じることができず、彼/彼女たちがそれを欲しているのを目の当たりにして、あとで一人の時に苦しくなって泣くことぐらいしかできません。涙がなんになるでしょうか、彼らにとってはなんの助けにもなりません。




「純度の高い人間になりたい」とは思いません


と言ったのには理由があります、身近にそういう人物がいたためです。元来が人を疑わない性質であるため、騙されたり利用されやすく、自分の身を守るためには全てを疑い・警戒する他に生きのびる手段がなく、混沌とした社会を生きてゆくには繊細すぎて、次第に家に閉じこもるようになり、心身を壊していった人。それはわたしの父です。



わたしはもう、これ以上自分のことを嫌いになりたくありません。純粋さなど要らないので、わたしの大切な人たちが心穏やかに過ごしていけるように、少しでも手助けになりたい。そうでなければ、せめて心穏やかな時間の邪魔にはなりたくないのです。


(けれど、叶うことなら大切な人たちとは一緒に過ごしたいのです。わたしは矛盾しています。これが苦しく、わたしはこの矛盾を醜く感じ、嫌悪します。)

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進月

悲しい気持ちの時は、二進数や円周率を眺めると気持ちが和らぐ中年女性

コメント5件

僕のおよめさまが、たぶんこの文章が必要な状態にあると思うので、シェアしておきます。
一人の人間の助けになれないまでも、気付きのキッカケにはなるかもしれませんよ♪
進月さんがこうしてご自身の内面や日々のことを発信していらっしゃるのは、とても意義のあることだと思います。
全てが同じではないものの、どこか進月さんと似た痛みや辛さを持つ人は他にもいて、そんな方々に「抱き続ける苦しみ」のほかに「手放す苦しみ」もあるのだと、選択肢を教えてくれるのです。
どちらにしても苦しいのですが、少なくとも自分で選択することができ、新しい選択肢を選ぶことで、前へ進むことができるかもしれない。
「思っていたより力になれない」
かもしれないけれど、
「思ったより力になれた」
ということも、きっとこれからあると思います。それは、進月さんの観測可能な範囲外である可能性もありますね。
「純度の高い人間」については、いずれ僕のnoteでも書く予定です。
純粋であるがゆえに、狂犬のようになっていた昔の自分を。

得られなかったものへの後悔や嫉妬、そうしてしまう自分の矮小さや卑屈さも、誰かの望みをかなえられなかった罪悪感も、全て引きずって、それでも可能な限り、幸せを選びましょう。
お互いに。

連投コメ、失礼しました。
このことをどうしても伝えたかったもので( ;´Д`)💦
「寄り添う言葉をもらう」という行為は、ある種の祈りのようだな と感じました。
文章を書き、コメントをいただいて、少しずつ気持ちが落ちついてきました。ありがとうございます。
(こういう種類の文章を書くときは、大抵自分の気持ちを整理する事で手一杯になってしまい、うまく返信ができなくてすいません)
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