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窮屈な「役割」からの解放を

たとえば会社の懇親会で、『わたしには子どもが二人いる』と初めて知った時の、最近入社した同僚の反応。とても驚かれた。「そんなふうには見えない」のだそうだ。「旦那さん自慢だろうねえ」と彼女が言うので「夫はいないんです」と説明すると(今の方が気楽で平和ですよ、と付け加えた)さらに驚かれた。「シングルマザーには見えない」のだそうだ。

(この上、私は数年前がんを患っていたことや、夫との離婚理由などを知ったら彼女はもっと驚いてしまうんだろうなあ)と思いながら、わたしは曖昧に相槌を打って目の前の食事に手をつけた。

(じゃあ、わたしがどんな外見で、どんな振る舞いをすれば ”二人子どもがいるシングルマザー” らしく見えるのだろう?)とも。




たとえば少し前にインターネット上で「上司にセクハラを受け精神を病んだ男性」について書かれた記事を読んだとき。わたしは彼が当時書いたメモを読んで涙が出てきたし、彼が精神的に追い詰められていく経緯を読み進めていくごとに考えこんでしまった。”男性らしさ”って何だろう。

何らかのハラスメントや暴力に直面した時、多くの女性は肉体的にも社会的にも弱い立場にあるため声を上げることができず(場合によっては日常生活に支障をきたし)生きづらさを抱え続ける。

しかし今回この記事を読み気がついた。「男性も生きづらさを抱えているのではないか?」生きづらさの種類は違う。けれど、根底では似ている部分でわたしたちは生きづらさを抱えているのではないか?と。

「男性らしさ(強く、豪快に)」という役割を与えられた男性たちは、それゆえにハラスメントや暴力を受けた事を相談しづらい。相談しても「”男性”なのだから」という理由でそれらのハラスメントや暴力を「些細なこと」として片付けられてしまう。そして男性はさらに人に相談しづらい気持ちを深める、という悪循環に陥ってゆく。(個人的に、自殺者の男女比で圧倒的に男性が多いことも、ここに一因があるように感じている)



わたしたちは日常生活において色んな「役割」を持って(あるいは、”持たされ”)生きている。「社会人」「上司」「部下」「独身」「既婚」「親」「犯罪被害者」「〇〇人(特定の国籍)」「障害者」「シングルマザー」etc,etc...

支障なく社会生活を送るために「必要な役割」もきっとこの中にはあるのだろうな、と思う。でも「不要な役割」も沢山あるんじゃないだろうか。多分、わたし自身もほとんど無意識に家族や他者(そして自分自身にも)「不要な役割」を押しつけている瞬間がある。「不要な役割」を投げ捨てた先には、もう少しみんなが生きやすい社会があるんじゃないかな、と思っている。わたしは想像力を持ちたい。「その役割は不要なのではないか」と疑問を持ち続ける姿勢を忘れたくない。


窮屈な役割からの解放を。「わたしたちは、もう少し自由に生きることができるはず」だと思う。


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コメント1件

すごく、同意します。
必要なだけの役割を負ったら、人を苦しめる不必要な役割は取っていけたら。
優しい社会になって欲しいです。
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