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誰にでもできることじゃないんだよ


父と元夫のことを思い返すと寂しい気持ちになる理由のひとつは、彼らは私自身を愛していたのではなく、「自慢できる家族のいる自分」を愛していたのではないかという疑念が晴れないためです。身もふたもない表現をすると、 “自慢できるステイタスのある家族を所有している自分” が好きだったのではないか?という疑念です。


「誰にでもできることじゃないんだよ」と元夫は言いました。「だからそういうものを持っている人は、できる限りその力を発揮するべきだと思うし、僕はそういうものを持っているあなたに憧れるし尊敬する」父は、私が特定の分野のスポーツで結果を残せた時は「俺は鼻高々だ」と言いました。「親戚や周囲に自慢できる」と。しかし父はわたしが思うように結果を残せない時はひどく落胆し、私を責め(そういうときの父からは、ちょっとここには書けないような言葉をかけられました)、ときには暴力を振るいました。裸足でアスファルトの家の周りを何時間も走り続けさせられたこともありましたが、あれになんの意味があったのかは未だによくわかりません。(足の指から血が滲んでも、走ることを止めることは許可されませんでした。)


言葉にすると陳腐かもしれませんが、彼らにとって私の存在意義は「自慢できる能力のある家族」であり、それがなくなったとき、彼らにとって私は価値のある人間ではなくなるのだと感じました。「その能力」は私を構成する要素のひとつではあるけれど、私全てではありません。父や元夫は、私そのものを愛していたかというと、そうではなかったのじゃないかなと感じます。このことを知人に話したとき、一人は「ありのまま全てを愛してもらえることなんてそうそうないんだから、妥協は必要だと思う」と言いました。またもうひとりは「うまく言えないけど、なんかそれはわかる」と言いました。

それでもその分野に身を置き続けることを選んだのは、その世界にいる人たちが好きだったからです。皆堂々としていて、情熱と信念を持って課題に取り組み、命を燃やしていました。彼/彼女たちと同じ場所に立つことは、ときにひどく緊張もしましたが、とてもわくわくしましたし、誇らしいことでもありました。



話は少し逸れるのですが、2年前ガンになったとき、人間関係が激変しました。具体的に言うと、友人を少なくない数失いました。たぶんこれはどちらが悪かったわけでもなく、私の病気によって、お互い違う場所に突然放り出された結果なのだと思います。

友人(だったひとの一人)は「手術で命が助かるのだったらそれが最優先だよ」と言いました。「手術で肺が片方切り取られるとしても、それで激しい運動ができなくなるとしても、命の方が大事だよ」と。それが正しいと思います。死んだら全てがおしまいです。でも、そのときの私にとって、その言葉はほとんど胸をナイフで刺されるようなものでした。私にとって走ることは生きることそのものであり、それを失ったとき、同時にわたしの人生は生きる意味をほぼ失うからです。

ガンが発覚した時、上記以外のことでも本当にたくさんの人たちから一度に連絡がきました。途中から、そのほとんどには返信ができなくなりました。具体的な病名(ガンには様々な種類があります)も判明しておらず、自分の寿命がもしかするとあともう少しかもしれないという状況の中で、発覚以前と同じように振る舞うことは全くできませんでした。そういう経緯があって、少なくない友人を失いました。

パニックになっていた最中に数少ない救いだったことのひとつが親友とのやりとりでした。「残念だけど、状況によっては左の肺は全部切り取ることになりそう、命には替えられないから」と言うと、親友は「でも、ランニングが」と言いました。「なんとかならないかなとずっと思ってるんだけど、せめて手術をするならできるだけ最小限で済むように」そう言われた時に、思いがけず涙がこぼれました。ずっと張りつめていた糸がやっと、ほんの少しゆるんだような感覚でした。


心配されていることは一緒のはずなのですが、疎遠になった人たちと、そうではなかった人たちとの違いはなんだったのだろうと今でも時々考えますが、未だにはっきりとした答えは出ていません。




私のしていたスポーツにおいて、競技人口から比較し、(どこを競技人口とカウントするかで変わりますが)特に、ほとんどひとりで競技生活をして私のやっていたところまで身体能力を高めることのできる人は、数千人〜数万人にひとりくらいだと思います。また、わたしのガンは、同年代の女性においては数万人に一人の確率でしか発生しないものでした。そのように確率の少ない立場に身を置く時、孤独感を避けて通ることは難しいように感じます、なぜならそういった境遇において共感を得る機会が少ないためです。


昨日は定期の経過観察で通院の日でした。ガンの再発はありませんでした。まもなく治療が終わって2年になります。主治医の話によると、2年を過ぎると再発の可能性はぐっと下がるのだそうです。次回から、定期検査は今までの3ヶ月に一度から、半年に一度へ切り替わります。


今日は仕事の勉強会に参加します。どこまでいけるかはわかりませんが、私は(仮に解消されないのだったら)孤独も一緒に大事に連れて歩こうかと思い始めています。うまく説明できるかどうか自信がありませんが、この痛みは私だけの個人的なもので、大切な私の一部です。失ったものは少なくありませんが、同時に得たものもあります。私たちはいつだって今持っているカードで戦うしかありません。できるかぎりその時の最善を選びつつ、ただそのままの私を肯定してくれた人たちと一緒に、今ある命を大事に、少しずつ歩いていきたいと思います。


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悲しい気持ちの時は、円周率や二進数を眺めると気持ちが和らぐ中年女性
コメント (2)
言葉に詰まる。いや僕の息が詰まる。変な言い方だけど、孤独は現役なんですね。やはり言葉に詰まるのだけど、最近の進月さんが新しい仕事に取り組んでることがうれしい。社会復帰の時点で「すげぇなー」だったけど。生き続けてることにもね。走ってることにもね。なんかやはり、うまく言葉にならないや。ありがとう、って感じもする。
あぎさん、社会復帰できたり、新しい仕事に挑戦できているのは、どちらかというと「運」とか「周囲の人に助けられたから」という要素が強いです。生き続けるのは、助けてくれた人たちに「元気にしているよ」と発信し続けたい気持ちがあるからですね。子どもの頃は、正直に言うと走るのは嫌いでした。好きになったのは家の外に出て、外の人たちとの関わりが出てきてからです。「このひとたちと一緒に走りたいな」と思う人が出てきた頃ですね。

なんて言うか、お互い、自分の心身の体調に気を配りながら、無理せず焦らず、できることから少しずつやっていきましょう。いきなりたくさんはできないので。

良い週末を。
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