夜景

擬態

パンプスを履いて階段を登ったり、小走りすることにも少しずつ慣れてきた。ジーンズ/パーカー/スニーカーではない服装(”オフィスカジュアル”というらしい)で通勤し、一日中PCとにらめっこし、必要に応じて会議に出席したり電話対応をして、時折同僚や上司と冗談を言って笑い合う。


今のマンションに引っ越して数年が経った。この場所で過ごして行くうちに徐々にご近所にも顔見知りができ、道端で出会うと会釈を交わすようになった。地区の役員を受け持ち、時々他の役員さんと連携を取り合う。最寄りの交番の駐在さんはわたしと息子の顔を覚えていて(小学校の通学路に交番がある)、先日うっかり定期入れを落としてしまった時は「息子くんのお母さんですよね?」と、定期入れが交番へ届けられた旨の連絡を入れてくれた。


まるで「世界に適応している人間」のようだな、と思う。そして、こうやって少しずつ今いる世界に「馴染んでいく」たびに、今いる場所は「外の世界なのだ」という感覚を拭い去ることができない。今いる場所に完全に馴染んでいるわけではないのだ。生きていくために、それらしい振る舞いをして日々やり過ごしているだけ。



この週末の夕方は、息子が地区の夏祭りに行きたがったので同行した。例年、この時期は台風がきたり梅雨が明けなかったりで、地区の夏祭りはなかなか開催されない。(その代わりに開催されなかった年は、地区の予算で購入した出店の食材を学校の昇降口で販売し、売り尽くしセールとなる。破格の値段なので、毎年わずかな時間でほぼ完売となる。)そんな経緯もあってか、久々に開催された今年の夏祭りはどの出店にも長い行列ができており、皆どことなく浮かれているように見えた。

一通り出店を回ったあと、息子の友人と合流し、お祭り会場の屋上で天体観測をした。息子と友人は望遠鏡で木星の観測を。わたしは肉眼で火星や夏の大三角形を眺めた。屋上から下のお祭りの様子も眺める。色とりどりの提灯、はしゃいで走り回る子どもたち、出店に並ぶ行列、色んな食べ物や飲み物、台風の前独特の生臭い強い風、等が入り混じった匂い。星空と雑音に紛れ、夜景を眺めながらここ数年の出来事が頭の中に浮かんでは消えた。

「擬態」ではあるけれど、少しずつできることが増えてきた。この「出来るようになった事」の中には、微力ながら、以前のわたしのような人達の力になれるものも含まれていると思う。時間はかかっても、それらを形にしていきたい。

また、わたしにとって居心地が良く、心が安らいだかつての場所のことについても思い返していた。「外の世界」ではない、かつての場所について。屋上には囲いがあり、外へは出られず、外からも内側が見えないようになっていた/スマートフォンや持病の薬・通帳や財布は職員が預かるようになっていた/部屋の鍵はなく、刃物は目に見える場所には置かれていなかった、あの場所について。そしてそこにいた、心やさしく脆い人たちのことについて。

遠くへ来てしまったなあ、と思う。それでも、あの場所にいた人たちのことは忘れた事はない。ほんの数週間だったけれど、彼女たちとは根底のところで通じ合う痛みをお互い持っていて、滞在中それを分かち合い、お互いをいたわり合った。



今住んでいる場所は閑静な住宅街で、都内なのに朝はよくわからない鳥や虫の鳴き声が聞こえる、自然豊かな場所だ。(なんなら畑も、ささやかな野菜の直売所もある)治安も概ね良いと思う。清潔で礼儀正しい人が多くを占める、穏やかな街。いつか、「擬態」ではなくこの街に馴染む日が来れば良いなと思う。もし来るのであれば、その日はどんな気持ちなのだろうか、とも。






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