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せかいをひろげる

「しんげっちゃんはね、周囲の期待に応えなくちゃいけないと思ってるでしょう。違うよ、がんばってもがんばらなくても、しんげっちゃんはそのままのしんげっちゃんで良いんだよ」


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学生時代にとあるスポーツをしていた。わたしはそのスポーツである程度の実績があり、複数の企業からオファーをもらっていた。私自身も将来その中のどこかに入社して競技を続けていくつもりだった。でも、ある出来事をきっかけに、わたしは学校のグラウンドに立つことができなくなった。何度ももう一度グラウンドでチームメイトの皆と一緒に練習をしたいと思ったが、グラウンドに向かおうとすると足がすくんで動けなくなった。

(きっかけというのは顧問の体罰だ。当時は今よりずっと体罰に関する問題意識は低かった。顧問は他にも体罰問題を起こしており、訴訟を起こされたこともあったが、大きな実績を残している顧問が罪に問われることはなかった)


動けなくなったわたしに対して父は落胆を隠さなかった。クラブの監督は泣いて謝罪し、競技を続けるよう説得した。わたしも彼らの期待に応えたかったが、どうしても彼らの望む形の期待に応えることが、わたしにはできなかった。

その後も様々な人たちから様々な方向で、わたしの能力が最大限発揮できるよう力添えをいただいたのだけど「日本を代表するレベルで成績を残す」という意味での力を発揮することができなかったわたしは、結局のところ周囲の期待には応えられなかったのだと思う(念のために言うと、大きなチームに属さず主に一人で細々と続けた競技生活も楽しかった、決して良いことばかりではなかったけれど。小さな子供の頃、TVや新聞で見た憧れの選手と、同じ大会で競技をできたことは、今でもわたしの人生の誇りのひとつだ)。


冒頭の言葉は、そういった中で何とか立ち直ろうともがいていた頃に、わたしの親戚がかけてくれた言葉だ。当時は素直にその言葉を受け取ることができなかったけれど、あの時目に涙をためながら一生懸命わたしをはげましてくれた親戚の表情が、今日は妙に記憶から呼び起こされる。



職場で面談があった。現状をヒアリングし、今後の仕事の方向性について一緒に考え、助言するというのが今回の面談の趣旨だった。面接官の男性は、わたしが今まで勉強してきた内容と現在の業務内容を把握すると、遠回しな表現で「あなたのポテンシャルであれば、現状の業務からもう少し世界を広げても良いのでは」と言った。

まだ子供が小さいので、今は定時で帰宅できることが優先であること、あと数年は現状維持で、業務をこなしつつ勉強を続けていきたいと考えている旨を伝えると、彼はそうですか、と少し残念そうに言ったあと、わたしが今勉強している分野において社内で利用できる補助制度や報奨金についての資料、それから、勉強がより結果につながる方法についての助言をいくつかくれた。

帰宅し、資料や助言のメモを読み直した。そのどれもがわたしひとりの力では手に入らない貴重な情報だったことは間違いない。けれど、それ以上に湧き上がったのは、「期待される」という行為に対しての嬉しさや怖さ、プレッシャーなどがごちゃ混ぜになった複雑な感情だった。彼から向けられたものは、昔わたしを高いところへ引き上げようと力を尽くしてくれた、たくさんの人たちとよく似ているのだ。「ただ楽しい/好きだけじゃもったいないよ、あなたにはもっとできることがあるはずだ、こっちにおいで、さあもっと速く」と彼らはもどかしそうな表情でわたしに言う。




背中に羽が生えたみたいにふわっとなる瞬間、自分の体の限界を広げていく感覚、もっと高くもっと遠くへ、そこから見える景色が知りたいと渇望する気持ち、それが楽しかった。学生時代の顧問は、時には強い気持ちを抱いてでも勝利にこだわるべきだと言ったが、わたしは誰かと争ったり、足の引っ張り合いをしたり、誰かの不幸を喜んだり傷つける事は好きではなかった。その部分においては、たぶん今でもそんなに変わっていないと思う。わたしはただ、新しい世界や景色を見ることが楽しくて仕方ないだけ。


昔も今も原動力は「好き」「楽しい」という感情が多くを占めている、けれど「好き」「楽しい」だけではいずれ限界が来るであろうことも理解してはいる。この先、もっと新しい世界を見るためには何が必要なのか。わたしはそれを見たい。けれど怖いのだ、「また期待に応えられなかったどうしよう」という気持ちが頭をよぎる。わたしはわたしのために力を貸してくれた人たちのエネルギーを無駄にするのが怖いのだ。


冒頭の言葉と親戚の表情が何度も頭をよぎるのは、私の中の葛藤や矛盾がそうさせているのだと思う、多くの人の役に立ちたいのであれば、そしてわたしにその力が潜在的にあるのなら、彼らの言うようにもっと高いところを目指すべきではないのか?でも、期待に応えられなかったら?でも、周囲の期待に答えられない=わたしの価値は無 ということになるの?いや...



自分と大切な人たちの心と体を尊重しながら、どこまでいけるのだろうね、わたしは


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