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悲しい思いをさせたくない

親友のお父さんは、がんで数年間闘病したのちに亡くなった。なんというタイミングなのだろう と思うけれど、「その日」はわたしが抗がん剤の治療を始めたばかりの時期だった。当時家族の闘病などで自分自身も心身にダメージを受けている中、親友はわたしの手術の付き添いに駆けつけ、怖がっているわたしを励まし続けた。彼女がその付き添いの時間を捻出するのがどれくらいの大変さだったのか、という事についての想像はそれほど難しくない。



親友のお父さんは、笑った顔が親友によく似ていた(正確には、親友がお父さんに似ているのか)。当時男性が苦手だったので、あまりまじまじと親友のお父さんの顔を見た事がなかったのだけど、ある時、ふと見上げると、親友とそっくりの表情で笑う親友のお父さんがそこにいて(ああ、このひとは本当に、親友の親御さんなのだなあ)としみじみ思った。

時々、親友一家の食事にわたしも加わった。いつも少しだけ緊張、恐縮してしまうのだけど、なんというか「一家団欒ごっこ」のようで楽しかった。親友のお父さんがちょっと突拍子のない言動をすると、他の家族からブーイング+ちょっとした口論等が起こったりするのも含め、食事会は楽しかった。



何年も時間をかけて闘病していたお父さんのそばにいた親友が、大手術をしたり、一進一退の症状が続く中でどんなふうだったか、どんな気持ちで日々を過ごしてきたか、その状況を(もちろん全てではないけれど)わたしは見ていた。だから、なんというか、うまく説明できないけれど、血液がんの診断名が確定し、抗がん剤の治療が始まった頃(親友のためにも、なるべく死ぬわけにはいかない)と思った。

すでに家族のことで十分にダメージを受けている親友に、これ以上悲しい出来事を増やしたくないと思った。それに、わたしたちは中高生の頃約束をしているので、その約束を破ることはできない、と思ったのもある。

全くの順調というわけではなかったけれど、そんなわけで無事に抗がん剤治療が終わり、この状態が5年続けば完治という、病気の症状が治った「寛解」という状態まで体が回復した時、わたしは「よかった、とりあえず一旦は、これ以上親友に悲しい思いをさせなくて済む」と、ほっとしたのを覚えている。


「大事に思う相手を傷つけたくない/悲しませたくない」という気持ちは、良くも悪くも、自分の選択や言動にブレーキをかける(あるいは、アクセルを踏み込むきっかけになる)事があるように思う。むずかしいことに、相手を思って動いたことであっても、ときにその気持ちが、かえって相手を悲しませる結果になってしまうこともあるし。

それでも、「この人を悲しませたくない」といったん立ち止まって考えることのできる人が存在することは、--- 少なくともわたしにとっては --- わたしの寿命を引き延ばすことになったなあ、と、これまでの人生を振り返って思う。


うん。おばあちゃんになってもずっと友達でいましょうね、親友。

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